No.59 「親孝行 ~その3~」
両親は、すまないねといいながらも、嬉しそうだった。旅行業務は、昔取った杵柄である。超VIP待遇で応対した。妻は、「また得意げに」という顔で微笑んでいた。
空港に到着し、滞在ホテルのチェックインを済ませ、夕食の時間まで両親には部屋で休んでもらった。私は、すぐにフロントヘ向かった。
陳さんの住所と電話番号を見せたところ、ほんの数ヶ月前この地区の電話番号が編成され、頭に数字の2をつけなければ繋がらないことが判明した。
「もしかしたら・・・」胸が高まった。
台湾語も中国語もできない私は、フロントの女性に電話してもらうように頼んだ。
繋がった。言葉は理解できないが、顔の表情から良い返事が戻ってくると確信できた。
“His wife answered. He is expected back in two hours.”
(奥様がお出になりました。ご主人は2時間ほどでお戻りになるそうです。)
陳さんは生きている! 陳さんときっと会える!
私の興奮は最高潮に達していた。対応してくれたフロントの女性と、手を取り合って喜んだ。
“I also asked his wife to call us back. I will let you know as soon as I get it.”
(陳氏からお電話があり次第、すぐにお知らせしますから。)
部屋に戻るも、私の興奮状態は治まろうはずもない。
「少し落ち着いたら」という妻の声も他所に、今か今かと電話を待ち続けた。
まもなく2時間が経とうとしたときだ。部屋の電話が鳴った。
「陳さんでいらっしゃいますね。慎一の息子の弘次と申します。今、台北にいます。」
「それは本当ですか。すぐホテルに行きますから。30分で着きますから。」流暢な日本語だった。
隣の部屋で休んでいた両親をたたき起こした。
「父さん、陳さんに会えるんだよ!」
フロントに現れた白髪の紳士は、80歳代とは思えないほど溌剌とし背が高く、足取りもしっかりとしていた。感激の対面だった。
祖父母がこの出会いを演出してくれたに違いない。そう思った。
その夜から帰国まで、陳さん一家が総出でもてなしてくれた。町並みに昔の面影はなかったものの、父が生まれた場所、祖父母が教えていた学校など、思い出の場所を案内してくださった。
陳氏は、その地で村長や議員まで務めるほど出世なさっていた。どこを訪ねても手厚い歓迎を受けた。父は、陳さんの説明や思い出話に、時折目頭を熱くしながら、自分の軌跡の一つひとつを確かめるように巡っていた。母は父の傍に寄り添い、温かく見守っていた。
「ハッチが両親に会えたね。」
妻の言葉に、私は満足感で満たされた。
陳さんに祖父母の話を色々と聞かせてもらった。優しく熱血漢溢れる教師だったようだ。貧しい家庭に生まれた陳さんの才能を見込んで、祖父母は陳さんの学費を払い卒業させたようだ。陳さんの祖父母に対する尊敬と感謝の念は、我々の想像を遥かに超えるものだった。
あっという間に帰国の日となった。陳さんは、これからやっと恩返しができると、次の計画をすでに立てていらっしゃった。
「次回は台湾を一周しましょうね。」そう言ってお見送りしてくださった。
こうして、ハッチへの親孝行は遂に達成された。
2004年7月
#059 親孝行 ~その3~
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