Nishida Koji ブログアーカイブ

No.58 「親孝行 ~その2~」

hitorigoto

幼少時代、我が家には見慣れない食べ物や、一見変わった飾り物が、定期的に送られてきていた。送り主も陳 梧林(チンゴリン)というこれまた不思議な名前だった。
このことを理解するのには幼すぎたが、「チン・ゴリン」という言葉は、私の語彙の一部となっており、贈りものを見ては、「チン・ゴリン、チン・ゴリン」と、勝手に旋律を付けて歌っていた。
小学校高学年になった頃、「チン・ゴリン」なる人物が、祖父母の台湾滞在時における教え子だと理解した。

父は、陳氏に抱かれている自分の写真などは持っているものの、記憶にない人物からの度重なる贈り物に、少々戸惑いを覚えていたようだ。徐々に連絡も疎遠となっていった。ここ数年は、全く連絡のない状況であり、年齢を考えると他界されていても不思議ではない状況だった。

社会人となってから、「ハッチを台湾に連れて行く」計画を折を見ては企んだが、なかなか実現に漕ぎ着けることができなかった。今思えば、何事も自分のことを優先してしまったことに他ならない。何とも親不孝な息子だ。

新学期が始まって間も無いある日、突然妻が台湾旅行のパンフレットをどっさりと持ち帰ってきた。
「ゴールデンウイークに台湾に行こうよ。」
結婚前から、「ハッチ」の話は妻にはしていた。
「今回を逃すと、またずるずる先延ばしになるわよ。」
常に仕事を優先する私の性格をお見通しの妻。嬉しさと有難さで思わず抱きしめていた。

とうとう実行の時が来たのだ。

「せっかくなら、陳梧林さんに会ってみたい」「祖父母がどんな教師であったのかを聞いてみたい」一気に想いが膨らんだ。
父に頼んで陳さんに関する情報を再度調べてもらったところ、かつての住所と電話番号が出てきた。その電話番号に早速電話するも不通。海外番号案内に調べてもらうも、現在その番号は存在しないとの回答だった。

私は諦めきれなかった。祖父母が奇跡を起こしてくれると信じ、その住所と電話番号をしっかりと握り締め、台湾へと向かった。

2004年6月
#058 親孝行 ~その2~