Nishida Koji ブログアーカイブ

No.50 「教育とは ~その1~」

hitorigoto

「なになに、一新米教師がたいそうなことを語るじゃねえか。」
読者からの声が聞こえてきそうだ。(笑)
いえいえ、たいそうな事を語るつもりはありません。
「教育とは」シリーズでは、「こりゃないよ!」と、憤りを感じた出来事について連載していきたいと思います。
それでは、第一幕、始まり始まり~。

共働き夫婦である我々は、なかなかデートをする時間が取れないのだが、数ヶ月に一度は、お互いの時間を調整して、思いっきり優雅なひとときを過ごすことにしている。二人にとっては、とても貴重な時間だ。
このデートに文化鑑賞はかかせない。かつ、かなり背伸びをしても、一流といわれるものに触れるようにしている。
「一流は素人にも感動を与える」これが私の持論だからだ。

前回のデートでは、オーケストラを鑑賞した。お気に入りのスーツに身を包んで、最愛の妻と最高の音楽。至極のときだ。そんなときに酔いしれていたら、あっという間にアンコール曲の演奏が終了。会場は、割れんばかりの拍手に包まれていた。そのときに、「出来事」は、起きた。

見るからに上品そうな母親と小学校低学年くらいの娘の親子が、私の斜め前に座っていた。女の子は、バイオリンのケースを大事そうに膝に抱えていた。
「Mちゃん、出ますよ。早く出ないと混みますから。」と母親。
会場が割れんばかりの拍手に包まれているにもかかわらず、その親子は席を立ち、足早に立ち去っていった。

その瞬間、「ブチン!」(プチンではない。「ブ」チンだ) 私は切れた。
既に、妻は私の膝を軽く叩き始めていた。私が怒(いか)っているのは、すでにお見通し。いつもの「落ち着いて」の合図である。

こんな親に育てられていたら、この子がどんなにバイオリンを練習して腕を磨いたとしても、将来人様に感動を与えられるような演奏家には、絶対にならないであろう。
人様があってこその演奏。人様がいてこその文化なのだ。

お母様。精一杯の一流の演奏に、心の底から拍手を贈る姿を、貴女が模範を示さなくてどうするのですか。演奏が上手くなることの前に、拍手をしすぎて手が痛くなるほど、拍手が上手くなるように教育することのほうが先ですよ!

それがお子様のためなのですから。 ねっ、お母様。

2003年10月
#050 教育とは ~その1~