Nishida Koji ブログアーカイブ

No.49 「我慢」

hitorigoto

「今の若者には我慢が足りん!」
いつの時代にも人生の先輩から若者に向かって発せられる言葉だ。
私自身もそう言われた一人であるし、今でも諸先輩方にはそう思われているのかもしれない。

「我慢強い」
この事は人生を歩む上で非常に大切な力である。
力は、一朝一夕に身につくものではない。我慢強い人間になるためには、辛抱の積み重ねが不可決である。辛いものを抱く行為の繰り返しが必要なのである。
そもそも辛抱は、日本人が美徳の一つとして、継承してきた大切な教えである。しかし、現代における日本には、この美徳を教える環境があまりにも少なくなってしまった。
戦後、経済第一主義にひた走ってきた歪の、顕著たる表れだ。

「人」をテーマとして異文化交流を専門とする私にとって、この現実ほど恐れているものはない。
なぜならば、「我慢」は、人と人とがコミュニケーションをとる上で、最も大切な力の一つだからである。
人は一人ひとり違う。それぞれがそれぞれの価値観の中で生きている。言葉や文化が違えばなお更の事だ。

異文化コミュニケーション学の一例を紹介しよう。英語の「ah-ha」の成り立ちである。
人は、自分と違う価値観に遭遇すると「ア~↑」と驚きや興味・関心を示す。しかし、その後、その価値観がなかなか受け入れられないために、「ハ~↓」と落胆的な溜め息となる。それでも頑張ってその価値観を理解しようと努めると、あるときに「ア~ハ~」なるほど、と納得の域に達する。
そして、その後に待ち受けているのが、「アハハハハ」という笑いである。
この笑いこそが、人と人とのコミュニケーションの醍醐味なのだ。
しかし、この醍醐味に達するためには、通過しなくてはならない多くのプロセスが待ち受けている。
そう、実に辛抱が必要なのだ。

このことは、何事に関しても言えることだ。つまり、力を身につけなければ、醍醐味には絶対に達し得ないのだ。
人は、この醍醐味に達した時、真の意味での喜びと自信を感じ得るものではなかろうか。

若者諸君。 何につけても我慢が足りんよ!

2003年9月
#049 我慢