Nishida Koji ブログアーカイブ

No.2 「忙しさ」

hitorigoto

ゼミ恒例の夏合宿が終わった。ゼミ生達も各々多くのことを学んでくれたに違いない。

今回は、お二人の社会人の方に講師をお願いした。ご多忙中にもかかわらず時間を作っていただいたことに、まずは心からお礼を申し上げたい。
特に三井物産株式会社の樋口健夫氏には、合宿前の計画段階から本当にお世話になった。あらためて心からの感謝の意を表したい。
同氏には、私が亜細亜大学勤務時に国際交流の研究会でお会いして以来、何かとお力添えをいただいている。今回も夏合宿実施にあたってのマネージメントをお願いした際、二つ返事で引き受けていただいた。

ゼミ生達には合宿に向けての宿題が課された。課題図書、同氏が推奨されている「アイデアマラソン」の実施、日記の励行と記号化、懸賞論文への投稿。
ゼミ生達も、課題をこなすのに必死であった。研究室に泊まり込みで頑張ったゼミ生もいる。彼らにもよく頑張ったと褒めてあげたい。

しかし、そこには彼らが頑張らざるを得ない明確な理由があった。そう、それは、課題提供者である樋口氏が、彼ら以上の頑張りを身をもって示されたからである。
樋口氏の仕事量や多方面でのご活躍を目のあたりにすれば、その超人的とも思える多忙さは、学生といえでも容易に理解できる。
その中で、合宿前の約2か月にも渡る期間、ゼミ生14人を相手に、毎日のように細かなアドバイスを続けられた。特に懸賞論文の課題については、テーマの違うゼミ生一人ひとりを相手に、逐次文章校正のアドバイスをされた。これは想像を絶する「忙しさ」であったはずである。

「忙しい」という言葉を見聞きするとき、私は、この言葉の語源を反射的に意識する。
忙しいとは、「心」を「亡くす」と書く。
人が心を亡くすほど恐ろしいものはない。特に、教育に携わっている者にとっては、この状態ほど避けたいものはない。

時間が皆に平等に与えられているのは明らかな事実である。
しかし、同じことをしていても「忙しい」と言う人もいれば、「このくらい全然平気」とケロッと言ってのける人もいる。まさにその人の感じ方次第である。
では、その感じ方はどうやって決まるのだろう。
精神力?体力?経験?効率?体調?価値観?環境?etc ...
あげればきりがないが、どれも正しいに違いない。
しかし、明言できることが一つある。
それは、人間皆、「心を亡くす状態にはなりたくない」と、思っているはずである。

樋口健夫氏とお付き合いを続けさせていただいて、約6年になる。これまで一度たりとも「忙しい」という言葉を耳にしたことはない。

1999年10月
#002 忙しさ